事業承継の方法は、お子様やご親族への承継、役員・社員への社内承継だけではありません。外部から招いた第三者への承継や、M&Aによる事業承継も、有力な選択肢の一つです。会社の規模や業種・業態、経営者の考え方、後継者候補の有無や経営能力などを総合的に見て、どの方法が最も自社に合っているかを見極めることが重要です。今回は、M&Aという選択肢について、現場で数多くの案件に携わってきた立場から考えてみたいと思います。
「うちの技術は特別」という思い込みを疑う
「皆さんの会社はM&Aで売却できると思いますか」と尋ねると、自信を持って「はい」と即答できる経営者はそう多くありません。しかし、本気でM&Aに取り組む決意があれば、譲渡できる可能性のある会社は思いのほか多いというのが実感です。ここでいう「本気」とは、希望通りの金額にならなくても構わないので、とにかく事業を引き継いでもらうことを最優先にできるかどうか、という覚悟を指します。
経営者からよく聞くのが、「この技術はうちにしかできない」「業界ではトップクラスだ」という言葉です。しかし失礼を承知で申し上げると、それは多くの場合リサーチ不足によるものです。世間を見渡せば、同様の技術を持つ会社は他にも数社見つかりますし、「トップクラス」という自己評価も、実際には思い込みであることが少なくありません。M&Aという市場に自社を置いた途端、評価は驚くほどシビアになる、という覚悟が必要です。
「買われた後にリストラがあるのでは」「サービスや製品の内容を変えられてしまうのでは」という不安の声もよく耳にします。しかし、こうした心配の多くは杞憂に終わります。能力を発揮している従業員は引き続き雇用されるのが通常ですし、待遇はむしろ改善されるケースが多いのが実情です。サービスや製品も、買い手のもとでさらに磨かれていくことがあります。自分の車や自宅を売却した後、それをどう使うかは買い手の自由であるのと同じで、大切に扱ってもらえさえすれば、それで十分ではないでしょうか。会社の売却だけ、売った後のことを必要以上に心配してしまうのは、少し不思議なことのように思います。
高く売るための三つの条件
M&Aで会社を高く売るためには、次の三つの条件を満たしておくことが重要です。
・業績が右肩上がりの好調なタイミングで売却すること ・社長がいなくても事業が回る仕組みを作っておくこと ・経営者自身が高齢になる前に動くこと
この三条件をすべて満たしている経営者は、実際にはほとんどいません。だからこそ、多くの会社にとってM&Aで「高く」売ることは簡単ではないのです。そしてもう一つ、実務上とても重要なのが、売却額を強気に提示することです。もちろん相場からかけ離れた金額は禁物ですが、交渉の入り口で弱気になる必要はありません。先の三条件を早めに整えておくことができれば、心にも時間にも資金にも余裕が生まれ、結果として強気な交渉がしやすくなります。
会社の値段はどう決まるのか
売却額の目安をどう考えればよいか、という質問もよく受けます。一般的な評価方法としては、次のようなものがあります。
まず、企業の資産を時価に評価し直して実体としての純資産を算出する「時価純資産価額方式」です。土地や有価証券のように市場価格があるものは評価しやすい一方、市場のない資産は簿価で簡便的に計算することもあります。資産面を重視した考え方です。
次に「EBITDA」による方式です。税金・支払利息・減価償却を差し引く前の水準に戻して収益力を測るもので、借入金額や過去の設備投資の影響を受けにくいため、装置産業やホテル・旅館業など、投資規模の大きい業種との相性が良い方法です。
さらに「DCF方式」は、企業が将来生み出すと期待されるキャッシュフローを現在価値に割り引いて合計する考え方です。業績が安定していて、向こう数年の事業計画がある程度確実に見込める業種、たとえば不動産賃貸業のような事業に向いています。
ここまでは比較的一般的な評価方法ですが、中小・零細企業の現場では、実際にはもう少し泥臭い計算方法が使われることもあります。一つは、いくらで売却できれば経営者自身の生活が成り立つか、という視点から逆算する方式です。現在の資産のうち換金可能なものにリタイア後の収入を加え、想定されるマイナス要素を差し引いて、大まかな金額を導きます。もう一つは、利益は出ているものの規模の小さい会社で、経営者が高齢になり、従業員の雇用と取引先への影響がなければそれでよい、と考えるケースで使われる方式です。現在の簿価純資産に、向こう数年分の税引後利益を加える程度の、便宜的な計算になります。
買い手と売り手が合意すれば、それでいい
こうした逆算的な計算方法は、理論的にはいい加減に見えるかもしれません。しかし、「会社の価値とは本来何なのか」という問いに突き当たったとき、最後に行き着くのは、買い手と売り手が納得できる金額で合意できれば、それで取引は成立する、というシンプルな原則です。
M&Aは、後継者不在という課題に対する一つの解決策であると同時に、経営者自身がこれまで築いてきたものの価値を、市場という第三者の目を通じて確かめる機会でもあります。「うちには無理だろう」と決めつける前に、自社がどのような形でなら引き継がれ得るのかを、一度冷静に整理してみることをお勧めします。