※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。

背景:3年の「お試し期間」を経て、株式移譲を決断したオーナー

A社は首都圏で食品の定期宅配とネット通販を営む会社です。年商は1億円前後。宅配事業は底堅い一方、ネット通販は販売プラットフォーム側の仕様変更などの影響で、売上が最盛期の半分程度まで減少していました。

A社では数年前から事業承継の取り組みを進めており、約3年前に従業員だったCさんが社長に就任しています。オーナーのBさん(70代)は前社長として、取締役である妻とともに、掃除や発送の手伝いといった現場のサポート役に回っていました。株式は夫婦で100%を保有したまま(夫が約7割、妻が約3割)です。

社長就任から3年がたち、Cさんに経営者としての自覚と実績が伴ってきたことから、Bさんは本格的な「経営権(株式)の移譲」を決断。ホームページで知った自治体の事業承継訪問相談に申し込みました。

相談で整理されたこと:株・借入金・経理、3つの課題

初回の面談で、課題は3つに整理されました。

第一に、株式の移転方法です。Cさんからは「過半数を取得して経営を安定させたい」との意向が示されていました。ただ、会社は債務超過の状態にあり、株価評価はゼロに近いと想定される一方、贈与か譲渡か、贈与税やいわゆる「ハンコ代(譲渡対価)」の扱いを慎重に決める必要がありました。

第二に、役員借入金の処理です。会社はBさん夫婦から過去に私財の投入を受けており、元々約3,000万円あった債務は、月々の返済を経て残高約2,000万円強となっていました。今後も月々20万円程度の返済を継続する前提で、経営権が移った後もこの返済が確実に続く仕組みが必要です。

第三に、経理業務の属人化です。経理と銀行回りは高齢の妻が一手に担っており、引き継ぎが急務でした。あわせて、夫婦が完全引退するのか相談役として残るのか、処遇の明確化も課題に挙がりました。

専門家の助言:無償譲渡と返済スキームを「セット」で設計する

訪問相談の担当者は、経営の安定を最優先し、Cさんへ最低でも51%、可能であれば3分の2以上または100%の株式を譲渡することを勧めました。株価は顧問税理士による試算が必要ですが、債務超過であるため無償または少額での譲渡が可能と推測され、後継者に資金負担をかけない承継が望ましいと整理しました。

そのうえで提案したのが、株式を無償または低額で譲る代わりに、残高約2,000万円強の役員借入金について、公正証書や契約書を用いて経営権委譲後も確実に返済されるスキームを組むことです。これにより、Bさん夫婦は年金と返済金で老後資金を確保でき、後継者側も負担を平準化できます。感情論になりがちな「創業者の想い(対価への期待)」と「後継者の経済的現実」を、契約でバランスさせる設計です。

さらに、社内で働く親族も含めて事業承継計画を共有すること、次回はCさんを交えて株式数・譲渡時期・返済計画・引退時期の具体的な合意形成を図ることを確認しました。経理は社内の長女へ早急に引き継ぎ、ネットバンキング導入などの効率化も進めるよう助言。宿題として、顧問税理士への株価評価の確認も依頼されました。

この事例からの教訓

1. 株価ゼロでも「対価」の設計はできる 債務超過の会社では、株式そのものはタダ同然になり得ます。しかしこの事例では、無償譲渡と役員借入金の返済継続を組み合わせることで、譲渡対価に代わる先代の老後資金を確保する道筋が描かれました。株価だけを見て「渡すものがない」と考えるのではなく、承継全体を一つのパッケージとして設計することが重要です。

2. 口頭の信頼関係を、書面の約束に落とし込む 3年間の「お試し期間」で先代と後継者の信頼関係はできていました。しかし次の段階は、株式譲渡契約書や金銭消費貸借契約書(準消費貸借契約)といった書面による法的な整理です。経営権が移った後も返済が守られる仕組みは、口頭ではなく契約でこそ担保されます。

読者へのチェックポイント

  • 顧問税理士に、現在の株価評価を確認しましたか。
  • 役員借入金の残高と返済条件を、書面で整理していますか。
  • 経営権の移譲後も返済が続く仕組み(公正証書・契約書等)を検討しましたか。
  • 現経営者の引退後の処遇(完全引退か相談役か)を明確にしていますか。
  • 経理など特定の人に依存した業務の引き継ぎ先を決めていますか。
  • 社内で働く親族や従業員と、承継計画を共有していますか。

親族外承継では、後継者に「負債も含めて引き受ける覚悟」が問われる一方、先代にも「潔く身を引く決断」が求められます。双方の想いと経済的現実の間に立つのが、事業承継士の役割です。株価がゼロに近い会社でも、設計次第で先代の老後と後継者の未来を両立させる承継は可能です。迷ったときは、自治体の相談窓口など第三者の力を借りて、合意を「かたち」にしていきましょう。