※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。
背景:一人で会社を回してきた経営者の悩み
首都圏で建物設備の保守・工事を手がけるこの会社は、創業者である現社長が長年一人で切り盛りしてきました。もともとは土木系の工事から始まった事業ですが、現在の中心はビルの水回りのトラブル対応です。水漏れや詰まりなど突発的な修理依頼に対応する必要があり、「まるで救急病院のような役割」と表現されるほど、心身への負担は重いものでした。
社長は70代となり、後継者不在、事業所の借地契約をめぐるトラブル、従業員の高齢化、会社の借入とそれに伴う個人保証、そして自身の老後や終活といった、複数の課題を同時に抱えていました。希望としては、数年以内に事業を後継者へ引き継ぎ、老後の生活資金を確保したうえで安心して引退すること。そこで自治体の事業承継相談を利用し、専門家に現状を整理してもらうことにしました。
相談で整理されたこと:後継者候補の実態と会社を取り巻くリスク
相談の中では、社長が抱える課題が次々と明らかになりました。
- 後継者候補の実態が不透明:取引のある企業の経営者から事業の引き継ぎ提案を受け、後継者候補の紹介も受けていましたが、その候補者と紹介者との関係性、年齢、実務能力、承継への本気度、資金力などは把握できていませんでした。
- 必要な資格が不足:この事業では公共工事の入札に必要な上位資格が事業継続の要となりますが、候補者が保有する資格は一つのみとみられます。必要な資格の取得には数年単位の期間がかかる見込みで、現社長による長期の指導・伴走が前提になります。
- 現場を支える人材の高齢化:資格を持つ現場責任者はすでに高齢で、稼働できる期間は限られています。外注先の職人も高齢化しており、労働力の確保に懸念がありました。あわせて、高所作業を伴う現場での労働災害リスクも増しており、万一の事故は事業継続そのものを脅かしかねない状況でした。
- 事業所の借地契約をめぐる紛争:事業所の土地は社長個人が長年借りているもので、契約更新の時期を迎えていましたが、貸主との間でトラブルが生じ、弁護士を立てて交渉している最中でした。事業の拠点そのものが不安定な状態です。
- 会社の借入と個人保証、個人貸付金の回収:会社には数百万円規模の借入があり、社長個人がその保証人になっています。加えて、社長個人から会社への貸付金は2,000万円ほどにのぼり、その回収方法も定まっていませんでした。
- 老後資金と生活基盤:社長の会社からの収入は年間で数百万円程度。株式の譲渡や退職金によって老後資金を確保する必要がありますが、具体的な条件はまだ何も決まっていませんでした。
- 身寄りがないなかでの終活の不安:一人暮らしで頼れる子どもがおらず、入院時の身元保証や死後の手続きを誰に託すか、自身の考えに沿った弔いをどう実現するかについて、強い不安を抱えていました。
専門家の助言:まず「会社の終活」を組み立てる
専門家からは、次のような助言がありました。
- 後継者候補・紹介者との間で正式な契約を結ぶこと。口約束のままでは「責任だけを押し付けられた」といった誤解や紛争のもとになるため、引き継ぎの条件や責任範囲、移行スケジュールを文書で明確にする必要があります。
- 借地契約の紛争を、対立を深めずに解決すること。事業拠点を安定させることが、新体制構築の前提になります。
- 既存の従業員・外注先の雇用継続に配慮すること。経営者としての社会的責任として位置づけられました。
- 株式の譲渡条件を適正な価格で明文化し、退職金とあわせて老後資金を確保すること。
- 今後数年を見据えた具体的な行動計画を立てること。財務整理、後継者候補の業界関係者への紹介、各種契約の見直しなどをスケジュールに落とし込みます。
- 借地契約の形態そのものを見直すこと。個人名義ではなく、事業継続を前提とした契約形態への変更を弁護士と検討することが提案されました。
- 終活に関する具体的な準備を進めること。入院や死後の手続きを託せる代理人を定め、自身の考えに沿った弔いが実現できるよう、遺言や生命保険を含めた仕組みを整えることが助言されました。
相談員は、悩みが多岐にわたるために話が定まりにくい背景には、自身の人生の終わりに向き合う難しさがあるのではないか、との所見を示しました。また、ワンマン経営を続けてきた高齢の経営者が孤独な生活を送っている場合、複数のリスクが重なりやすいこと、そして資格を持つ優れた技術者であることと経営者としての役割は別のものである、という点を強調しました。
この事例から学べること
この事例が示すのは、事業承継の課題が「後継者探し」だけでは終わらないということです。後継者候補がいても、その資格・実力・関係性・本気度が見えなければ具体的な計画は立てられません。さらに、事業拠点の権利関係、会社の借入と経営者個人の保証・貸付金、従業員の高齢化、そして経営者自身の老後・終活といった要素が絡み合うと、何から手をつければよいか分からなくなりがちです。
こうした状況では、一つひとつの課題を個別に潰すのではなく、専門家とともに全体像を整理し、優先順位をつけた計画に落とし込むことが有効です。特に、身寄りが少ない経営者にとっては、事業の承継計画と自身の終活を並行して進めることが、安心して引退するための土台になります。自治体などが提供する無料の事業承継相談は、こうした複数の課題を横断的に整理する入り口として活用できます。
