※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。

背景:代表交代は済んでいる。しかし株式は動いていない

A社は金属加工を長年手がけてきた、老舗の製造業です。現社長は数十年前に入社し、数年前に父である先代(現会長・80代後半)から代表権を引き継ぎました。代表者としてのバトンタッチはすでに完了しています。

一方で、会社の「中身」の承継はこれからでした。公的な事業承継相談につながり、株式と税務を中心とした相談が始まりました。

相談で整理されたこと:債務超過の帳簿と、動いていない株式

初回に整理された財務の姿は、次のようなものでした。帳簿上の純資産はマイナス、つまり債務超過です。ただし、会社には多額の役員借入金があり、実質的な純資産がいくらなのかは、このままでは判断できません。直近期は営業赤字ですが、ほぼ見合う額の減価償却費があるため、キャッシュフローは概ねトントンでした。政府系金融機関と地域金融機関からの借入も残っています。

株式の状況は複雑でした。発行済株式の大半を社長・会長・叔父の3名で保有する同族会社で、そのほかにも親族が少数を保有しています。加えて、過去の株式買い取りの経緯が不明確な部分も残っていました。会社が事業に使う不動産も、会社所有分と個人所有分が入り混じっています。

こうした整理を経て、課題は3つに絞られました。第一に、土地の評価洗い替えを含む正確な自社株評価と、実質的な純資産の把握。第二に、会長と叔父が保有する株式を現社長へ集約するための合意形成と、株主名簿など記録の整備。第三に、贈与税・相続税の納税猶予を受けられる事業承継税制の活用に向けた、特例承継計画の策定と期限内の確認申請です。

専門家の助言:評価・記録・協議・計画の4点セット

担当した専門家が示した初動は、次の4点でした。

  1. 株価と土地の評価:顧問税理士に依頼し、直近期末時点の正確な株価算定と土地評価を実施する。
  2. 定款と株主名簿の整備:株券不発行の旨が定款に記載されているかを確認し、司法書士等とも連携して、最新の定款と正確な株主名簿を整える。過去の株式譲渡履歴を整理し、税務申告書の株主記載との整合も確保する。
  3. 親族間協議の準備:株価算定の結果が出た段階で、会長を含めた親族間で、株式の移転方法(贈与か相続か)の方向性を協議する。
  4. 事業承継税制の手続き:特例承継計画の提出に向け、現状の経営課題と今後の5年計画を整理する。

所見では、代表権の委譲が済んでおり親族間の関係も比較的良好である点は、承継協議の土台として評価できるとされました。他方、収益力の改善は長期存続の必須課題であり、事業承継税制には現社長が5年間代表を継続することなどの要件があるため、制度を理解しながら進める必要があるとも指摘されています。次回は税理士による評価結果が出た後に、会長にも同席してもらい、株式移転の意向確認を行う予定で相談は区切られました。

相談の再開:株価算定が示した、帳簿とは逆の姿

一定期間をおいて相談が再開され、その1回目で税理士による株価算定の結果が示されました。結論は帳簿の印象と正反対でした。土地は取得時の帳簿価額と現在の評価額に大きな開きがあり、含み益を反映すると1株あたりの評価額は帳簿から想像される水準をはるかに超えます。帳簿上は債務超過。それでも会長・叔父それぞれの保有分は、通常の贈与では多額の贈与税が生じる規模に達していました。

株主と書類を洗い直すと、宿題も出てきました。かつて会社に関わった関係者に残る少数株のうち、一部は所在の確認が要ります。古い定款には株券を発行する旨の記載が残っており、現物の所在も未確認のままでした。事業に使う不動産の所有区分も、登記等で確かめる必要があります。

そして担当した専門家が示した道筋が、この事例の要になります。まず会長の株式を社長へ移して議決権の過半数を確保し、そのうえで叔父の協力を得て3分の2以上を目指すという二段構えです。過半数があれば通常の決議は通りますが、定款変更などの重要事項を単独で決議するには3分の2以上が要ります。会長は80代後半。検討に長い時間は費やせない、というのが専門家の判断でした。

第2回:会長への説明と、明確な了承

続く第2回には、会長に同席していただきました。テーマはただ一つ、会長の株式を社長へ贈与することについて、本人の意思を確認することです。

説明されたのは、評価がこの水準になったのは土地の含み益によること、通常の贈与では多額の贈与税が発生すること、だからこそ法人版事業承継税制で納税猶予を受けながら移す方針であること。会長からは制度について質問を受けたうえで、すぐに手続を進めてほしいとの意向が示されました。了承です。

この回で、株券は現物が発行されていないという説明もありました。定款・登記・株主名簿と突き合わせて、事実関係を確定させる必要があります。

ここは正確に書いておきます。得られたのは会長本人の了承であり、贈与契約の締結も納税猶予の申請も、まだ着手されていません。贈与が実行されれば社長の議決権は過半数に届く見込みですが、意思が固まったことと手続が済んだことは別です。

同時に、会長個人の相続という宿題も確認されました。事業用の資産を後継者に集中させるほど、他の相続人の遺留分や相続税の納税資金への影響は大きくなります。財産全体を把握したうえで、遺言書等の整備を並行して検討する必要がある、というのが助言でした。

この回では、過去のやりとりについて親族間で認識に食い違いがあることも分かりました。こうしたずれは珍しくありません。個別の買取りや金銭の支払いを安易に約束しないこと、見解の相違があるなら争いになる前に事実関係を整理しておくことが、助言されています。

そして回の終わりに、次の一手が設計されました。会長と社長から事前に「会社の存続について、専門家の説明を聞いてほしい」と叔父へ伝えてもらったうえで、専門家が制度の趣旨、株価の意味、相続時の税負担を説明し、協力を求める。この順序が決められました。

第3回:叔父への説明と、協力の意向

第3回には、叔父に同席していただきました。叔父には身内へ株式を残したいという意向があり、同時に、税負担が課題だという認識も示されました。

説明の組み立てが、ここでも効いています。まず示されたのは、この評価額は土地の含み益を反映した税務上の数値であって、換金は困難だという点でした。数字が何を意味しないのかを押さえたうえで、次の2つが説明されます。このまま相続が発生すれば経営に関与しない相続人へ株式が分散し、相続税の負担、会社への買取要求、議決権行使をめぐる紛争の原因になりかねないこと。事業承継税制を活用すれば、納税猶予を受けながら社長へ集約できること。

ただし制度には制約があります。納税猶予の対象となる受贈者(後継者)は会社の代表権を有する18歳以上の者に限られ(1社につき最大3名)、代表権のない身内への贈与は対象になりません。そちらは暦年贈与や相続時精算課税による段階的な移転が選択肢となりますが、税負担を試算したうえでの判断になります。また、社長の議決権が3分の2に達するまでの株式を一括で贈与する必要があり、少しずつ移していく進め方はできません。

これらを聞いたうえで、叔父は、会社の存続を優先し、全株式の贈与も容認する、との意向を示しました。面談の終盤には会長も同席しています。ただし、示されたのは協力の意向であり、実際に贈与する株数は、身内と相談のうえで最終判断することとされました。方向は定まりましたが、中身の確定はこれからです。

叔父からは、株式が分けられたのは先代の思いによるものだったと振り返りつつ、最後は後継者を信頼できるかどうかだ、という趣旨の話があったと報告されています。社長への信頼が、協力の基盤になっていました。叔父個人についても、財産全体の把握と相続税の試算、会社への貸付金についての金銭消費貸借契約書の整備、遺留分に配慮した公正証書遺言の検討が、あわせて宿題となっています。

手続は、会長から社長への贈与(第一種贈与)を先行させ、その後に叔父からの贈与(第二種贈与)を行う順序です。特例承継計画は2027年9月30日までに提出し、贈与は2027年12月31日までに実行しなければなりません。この事例では、計画を提出するまでに、叔父からの贈与株数を判断してほしいと依頼されています。第二種贈与を行う人は特例承継計画に記載する必要があるためで、実行期限より手前に、判断すべきことがある形になりました。一方、贈与後5年間は後継者が代表を退任できず、継続に必要な要件を満たせなくなれば、猶予されていた税額に利子税を加えた納付が必要になる場合があります。M&Aによる株式売却や廃業の場合も原則として納付が生じます。親族の協力を得る社長は、同時に重い義務も引き受けることになります。

いま立っている場所:方向は固まった。手続はこれから

事実関係を整理しておきます。

  • 確定していること:株価算定の結果が出たこと。会長が社長への贈与に明確な了承を示したこと。叔父が会社の存続を優先し協力する意向を示したこと。
  • 確定していないこと:贈与契約の締結、特例承継計画の提出、納税猶予の申請は、いずれも未着手です。叔父が実際に贈与する株数も未定です。所在不明の株式、株券の発行状況、定款の整備も、これから手をつける段階にあります。

合意の方向は固まりました。しかし、動いたのは意思であって、株式はまだ1株も動いていません。

この事例からの教訓

1. 「債務超過だから承継対策は不要」ではない 帳簿上の債務超過は、承継対策が要らないことを意味しません。この事例でも、実際に評価すると通常の贈与では多額の贈与税が生じる水準の株価が出ました。役員借入金が多額にある場合や不動産を保有している場合、実質的な純資産や株価の評価は帳簿の数字と異なり得ます。正確な評価をしないまま「株に価値はない」と思い込むと、株式集約や税制活用の検討そのものが止まってしまいます。

2. 株式集約は、認識のずれが小さい段階で記録整備から始める 株式が親族間に分散し、過去の譲渡経緯に不明確な部分があると、集約の協議も税制の手続きも前提から揺らぎます。株主名簿・定款・株券・申告書類の整合を確認する地味な作業こそが、承継の入口です。この事例では、親族関係が比較的良好なうちに着手できたことが強みになりました。ただし「良好」は「認識が一致している」という意味ではありません。過去の買取りをめぐる認識の相違は、すでに芽生えていました。

3. 合意形成には、順序がある 設計されたのは、①当主に直接説明して了承を得る、②当主(と後継者)から次の株主へ「専門家の説明を聞いてほしい」と伝えてもらう、③専門家が中立の立場から制度と数字を説明する、④意向を確認する、という順序でした。当主本人の意向が固まっていることが、次の株主へ説明を求める前提として置かれていました。身内が言えば利害の話に聞こえることも、第三者が制度として説明すれば中立的な情報になります。誰が誰に、どの順番で何を話すか。それ自体が承継の技術です。

4. 数字を出す前に、その数字が「何ではないか」を伝える 非上場株式の評価額は税務上の計算値であって、そのまま換金できるものではありません。それでも金額だけが親族に伝わると、「自分の持ち分にはそれだけの価値がある」という期待が生まれます。この事例で叔父への説明に「換金は困難だ」という点が含まれていたのは、偶然ではありません。会社に買い取る資力がないなら、なおさら期待させる説明は避ける。説明の順序と表現に、細心の注意が要ります。

5. 「過半数」と「3分の2」は、意味が違う 過半数があれば役員選任など日常の経営判断は通ります。しかし定款変更や組織再編といった特別決議には3分の2以上が必要です。さらにこの事例では、3分の2は制度上の意味も持っていました。この事例では、後継者の議決権が3分の2に達するまでの株式を一括で贈与する必要があると説明されました。少しずつ移す進め方は選べない、ということです。「何%あれば足りるのか」は、会社法上の意味と税制上の意味の両方で考える必要があります。

6. 合意と手続は別物。そして制度には期限がある この事例で得られたのは、会長の明確な了承と、叔父の協力の意向までです。贈与契約も納税猶予の申請もこれからで、特例承継計画の提出は2027年9月30日、贈与の実行は2027年12月31日が期限です。「関係が良好だから、いつでもできる」ではなく、合意ができた回のうちに次の手続の段取りまで決める、と考えるべきです。

7. 「今は急がなくてよい」は、税務の面だけを見た判断かもしれない 株価の観点だけで考えれば、「評価が下がる時期を待ってから贈与すればよい」「今すぐ動く必要はない」という助言もあり得ます。税務としては、それも一つの見方でしょう。

しかし、期限のある制度を使う場合は話が変わります。特例措置の対象となるのは、期限までに行われた贈与か、期限までに発生した相続です。期限内に贈与しないという選択は、裏を返せば、期限内に相続が発生するのを待つという意味になりかねません。ご高齢の株主がいる会社で、それを前提に計画を立てるのは現実的ではないはずです。

さらに、贈与にも、遺言にも、家族信託にも、本人の意思と判断能力が要ります。もし判断能力が失われれば、贈与という手段そのものが使えなくなります。そのうえで期限内に相続も発生しなければ、100%の納税猶予が受けられる特例措置は、結局どちらの入口からも使えないまま終わります。

この相談でも、当事者の意思と判断能力が明確なうちに必要な手続を進めることが重要だ、という点が繰り返し確認されました。税負担を最小にする判断と、承継を実行できる状態を保つ判断は、別の軸です。どちらか一方だけで決めないことが、この論点の要諦だと考えます。

読者へのチェックポイント

  • 帳簿上の純資産だけを見て、自社株の評価や承継対策の要否を判断していませんか。
  • 役員借入金や不動産の評価を織り込んだ株価算定を、専門家に依頼したことがありますか。
  • 株主名簿は最新ですか。過去の株式の譲渡・買い取りの経緯を、書面で確認できますか。
  • 定款の記載(株券発行の有無など)を確認していますか。株券の現物の所在は把握できていますか。
  • 株式が親族に分散している場合、移転の方法(贈与か相続か)を関係者と話し合う準備はありますか。
  • ご親族に説明するとき、誰から、どの順番で、何を伝えるかまで設計していますか。
  • 自社株の評価額を伝える際、それが換金できる金額ではないことを、金額より先に説明していますか。
  • ご親族に対して、買取りや金銭の支払いを口頭で約束していませんか。認識のずれは残っていませんか。
  • 議決権について、「過半数」で足りる場面と「3分の2以上」が要る場面を区別できていますか。
  • 事業承継税制の活用を視野に入れる場合、特例承継計画の策定・申請に期限があること、誰から贈与を受けるかは計画に記載する必要があるため、贈与の相手と段取りを計画の提出までに整理しておく必要があることを把握していますか。
  • 納税猶予を受ける後継者本人が、5年間の代表継続などの継続要件と、満たせなくなった場合に利子税を加えた納付が生じ得ることを理解していますか。

改訂履歴

  • 2026年8月:その後の経過を追記

代表交代が済んでいても、株式と税務の承継が残っていれば、事業承継は道半ばです。債務超過という言葉で思考を止めず、まずは正確な評価と記録の整備から始めること。そして株式が分散しているなら、誰から、どの順番で話すのかまで含めて設計すること。迷ったときは、公的な事業承継の相談窓口や事業承継士を、早めに頼ってみてください。